メキシコとの国境の町テキサス州・エルパソには、ブリス砦(フォート・ブリス / Fort Bliss)というアメリカ軍最大級の防空基地があります。
この広大な基地の中に、一般に公開されているブリス砦についてや実際に使用された軍事機器についてのエアディフェンスとフォートブリス博物館(Air Defense Artillery & Fort Bliss Museums)があるので行ってきました。ブリス砦の敷地内に入るのはIDチェックがあるので、パスポート必須です!
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ブリス砦(フォート・ブリス)とは?
ブリス砦の歴史は1840年代の遡り、もともと先住民族アパッチ民族からの攻撃に対抗するための小さな砦であったようです。それが、現在アメリカ軍最大級の防空基地になっていると。
ブリス砦の基地内は非常に広大で、オフィスビルや訓練場の他にも、軍関係者の住宅などがあり中に入ってしまえば普通の町と変わりありません。スーパーやレストラン、宿泊施設などもあるから驚きです。
基本的に観光客は、入場ゲートでチェックを受けた後、敷地内の博物館を見学して再びゲートを出て帰るという形です。博物館自体は1時間もあれば十分といった内容ですが、日本には無い雰囲気に驚かされます。
行き方や入場チェックについて
エルパソ・ダウンタウンからは車で20分ほどのところにあります。敷地内の博物館を目的地に設定しましょう。
敷地内に入るには、IDチェックが必須
そして敷地内に入る際に通過が必要な入場ゲートでは、IDチェックが必要になります。必ずパスポートを持参しましょう。少し緊張しますね。
出る時も同じくこのゲートを通ることになりますが、特にIDチェック等は無くすんなり出られます。
フォートブリス博物館
ゲートから車を5分ほど走らせると博物館に到着します。正式名称は、エアディフェンスとフォートブリス博物館(Air Defense Artillery & Fort Bliss Museums)。無料の広い駐車場がります。
博物館前には本物の戦車やヘリ
博物館前には戦車やヘリが何台も並んでいました。詳しくないのでチンプンカンプンでしたが、一台一台型式など説明パネルが付いていました。最初レプリカだろうと思っていましたが、後で受付の方に聞いたら数台を除いてすべて本物だよと教えてくれました。
V2ロケットも展示されていましたが、流石にそれはレプリカでしょう。ブリス砦には軍のロケット発射基地もあるそうです。
アメリカ軍の印、白い星が描かれた戦車や軍事用ヘリ。本物の兵器だと思うと衝撃的ですね。日本ではなかなか出会えない光景です。
いざ中へ、入場料は無料
入場料は無料です。一応、入口に受付らしき場所があるので挨拶すると退役兵らしき方が回り方について説明してくれます。基本博物館内の展示は見学自由とのこと。その方は、戦車のプラモ作りをされておりました。アメリカにもあるんですねプラモデル。
↓玄関先にあったパネル。詳しくは読みませんでしたが、ブリス砦に勤務する兵士たちの心得が書かれているのだと思います。
こちらの博物館、他に軍関係者のミーティング場としての役割もあるようで、この日はたまたま併設されたホールで立食会が開かれていました。軍服を来た関係者の方々が続々と入っていくので最初驚きました。観光客はその時間私たちだけの様で明らかに浮く…。
ブリス砦における戦争の歴史
ブリス砦における戦闘の歴史についての展示コーナーがありました。昔のブリス砦はこのようにアドービ風(日干し煉瓦)の作りであったということです。
↓こちらの背景の写真がかつてのブリス砦。
1850年代ブリス砦は、ネイティブアメリカンで非常に戦闘能力が高かったといわれるアパッチ族との戦闘の拠点となったそうです。
↓武装するアパッチ族に対して、当時のアメリカ軍の装備。
ちなみに…エルパソを含むテキサス州は、かつてメキシコの領土でしたが、1846~1848年の米墨戦争(アメリカ—メキシコ戦争)によりアメリカの領土となった経緯があります。米墨戦争での戦闘地などを示した大型パネルもありました。
WW1・2 ~冷戦期の武器の展示
戦闘シーンに併せて背景が作られています。これら兵器が使用された背景も説明が加えられていました。
飛行機などはなく陸上兵器が中心でした。大戦中はこれが街の中を入っていたかと思うと、恐怖です…。
↓ベトナム戦争で使用されたトラック類。
興味深かったのは冷戦期の展示で、冷戦期アメリカ本土に核兵器投下の脅威が高まっており、もし核ミサイルが発射された場合の避難行動を子どもたちに教育するため使われていた実際のビデオが流されていました。
その他、中央スペースにもこんな感じで無造作に戦車や軍事トラックが展示されているわけですが…。軍事用飛行機はワシントンのスミソニアン博物館でたくさん見れましたが、こんなにも戦車を見たのは初めてかもしれません。
生活の場でもあるブリス砦
軍事基地というと、訓練場やミサイル発射場しかないと思っていましたが、ここは基地に勤務する軍関係者(兵士やその家族)の生活の場でもあるのですね。
基地内には普通に道路が走り、住宅や商店(なんとウォールマートもありました)が立ち並び一般の町と変わらない風景を見ることができます。郵便局や幼稚園などの施設もあるみたい。
ただ住んでいる人たちは、町(基地)の外に外出して自宅に戻るたびに、いちいち入場ゲートでIDチェックされるのは面倒だよな~と個人的に思ってしまうのでした(笑)余計な一言でしょうが。
↓緑も豊富で洗練されたエリアも。この地域でよくみられる非常に背の高い木もありました。
かと思えば、突然戦車が置かれていたり(おそらく展示用?)と、驚かされるのですが、軍施設と生活の場が共存している感じですね。背後にはエルパソを見渡すフランクリン山脈がみえます。
おわりに
コロラドの空軍士官学校に続いて2回目の軍関連施設の見学でしたが、日本には無いその独特の雰囲気にやはりどこか緊張してしまうのでした。
↓コロラドの空軍士官学校についての記事はこちら!
【コロラドスプリングス】エアフォースアカデミー(空軍士官学校)の見どころを紹介。未来の士官候補生の学び舎!
パスポートさえあれば見学可能な施設なのでエルパソに訪問された際は是非足を運んでみてはどうでしょうか。
コメント
こんばんは 突然失礼します。
私は元航空自衛官でして、この基地内にある学校の卒業生です。
約9ヶ月間入校していました。35年以上も前のお話です。
当時はV2は黒かった?様な記憶があります。
懐かしさで思わずコメしました。
luftwaffeさま
コメント頂きありがとうございます。
フォートブリスで実際に訓練されていた方からコメントを頂けるとは思いませんでした。光栄です。当時からV2ロケットは健在だったのですね。
アメリカでは軍関係の施設や航空機の博物館等を見学する機会に恵まれ、私自身カルチャーショックを受けるとともに見分が広がりました。他にもコロラドの空軍士官学校やワシントンDCの航空宇宙博物館など記事を書かせてもらっています。
コメント励みになります。ありがとうございました。
こんばんは
私は元陸上自衛官、ASP(年次射撃訓練)でフォートブリスに行きました。
私も確か35年前、懐かしいです^^
ミサイルの実射訓練はここから車で2時間ぐらい?ニューメキシコ州のマックグレゴア射場でホークミサイルを2発撃ちました。
私も懐かしくてコメしました。
Shinji様
コメントありがとうございます。元航空自衛官の方に引き続き元陸上自衛官の方からもコメント頂けるとは光栄です。
ニューメキシコにはホワイトサンズ国立公園を訪問する際に立ち寄りましたが、ミサイル実射訓練場があったとは初耳です。
マックグレゴア射場場について検索したところ、陸上自衛隊のHPからその様子について写真を見ることができ、その迫力に驚きました。
コメント大変励みになります。ありがとうございました。
お久しぶりです。 余談ですがRio Grandeを渡りメキシコ Juarez (第26代大統領*の名)に週末はよく遊びに行ってました。
ちなみに*Juarezのfirst nameはBenitoです。そうあのムッソリーニのそれなのです。
なんでもムッソリーニの父があやかって名付けたそうです。
Shinji様も遊びに行かれたのでは? ひょっとしてバーとかですれ違ってたりして?等と、若き日を想い出します。
地球って広いようで狭いんですね!!
Juarez飲みに行きましたよ^^
エルパソの国境まで車で送ってもらい 歩いてRio Grandeを渡りバーへ
当時は確か横に女の子が座ってくれて飲み物1杯で1ドル50だったかな?
私も自衛官だった頃を思い出します。
私も元航空自衛官です。55年前1962(昭37)自衛隊初装備となる「対空誘導弾ナイキ」の導入教育・訓練を6ヶ月フォートブリス(以後F・B)で受けました。教育・訓練終了2週間くらい前「キューバ危機」事態が発生、F・Bの防空ミサイル・対空火器実戦部隊が続々フロリダ半島へ移動して行き基地全体(アメリカ全土だったかも)の緊張が高まっていたことが強く印象に残っています。 続く
翌年1963(昭38)11月初の年次射撃訓練(ASP)訓練終了、帰国前日F・B滞在中、「ケネディー大統領暗殺事件」発生の報受け、驚愕/土産物購入のたファーレス(
米兵、エルパソの米人市民の多くがウアーレスと発音)へ、当時エルパソーウアーレスに
環状路面電車があり、我々が乗った電車が最後で以降の電車は運行停止・國境閉鎖となった。買った「EXTRA El Paso Herald-Post」には「ケネディー暗殺さる」 続く
「メキシコ國境72時間閉鎖」の記事、翌日帰国を控え言葉も通じない異国の地でどうなるか、どうすれば良いのか大パニック:頭真っ白・幸い約3時間後國境ゲート開放、翌日予定通り帰国できた、という強烈に苦い体験の記憶が今でも鮮明に思い出されます。
*「EXTRA El Paso Herald-Post」はラミネート保護 保存 更にその翌年1964(昭39)ASPでF・B滞在中ソ連のフルスチョフ第1書記が失脚と、連続した重大事件がF・B滞在中に起きるとは!その後1980(昭55)までにASP8回都合9回のF・B滞在 今でも古い特集アルバムを眺め、当時を思い起ししており、偶然貴誌を発見懐かしさのあまり長々と迷惑文で申し訳ありません。