【メンフィス】キング牧師暗殺の地ロレインモーテル、公民権運動博物館で黒人差別の歴史を学ぶ。

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I have a dream“の演説があまりにも有名なキング牧師(Dr. Martin Luther King, Jr)は1968年テネシー州のメンフィスで凶弾に倒れました。キング牧師が撃たれたロレインモーテルは現在、キング牧師の暗殺事件やアフリカ系アメリカ人たちへの差別の歴史について学べる公民権博物館(National Civil Rights Museum)となっています。

公民権運動博物館の展示内容についてご紹介します。彼の残した偉大な功績と当時の事件の様子を学ぶことのできる充実した展示の数々です。

公民権運動博物館(National Civil Rights)

1968年4月4日、メンフィスで人種差別撤廃の演説を行った後、メンフィス郊外のロレインモーテル(Lorraine Motel)306号室のバルコニーにおいて、白人男性のJames Earl Ray(レイ)によって暗殺されてしまいました。

彼の死を悼み、その遺志を引き継ぎ、彼の最後の地となったロレインモーテルは公民権運動博物館(National Civil Right Museum)となり、公民権運動の歴史やキング牧師の暗殺事件に関する詳細な展示が行われています。

当時のロレインモーテルの外観はそのままに、内部が博物館として改装。世界中から多くの人々が訪れる場所になっています。

博物館は本館:ロレインビルディング(LORRAINE Building)と通りを挟んで別館:レガシービルディング(LEGACY Building)の2つに分かれています。まずはロレインビルディングから見学をスタートさせましょう。

行き方

ダウンタウンから車で10分ほどのところにあります。徒歩での移動も可能ですが、ダウンタウンを抜けると治安が悪そうなエリアが続きます…。※特にロレインモーテル周辺は特に治安が良くないと言われているので夜の移動は絶対に避けましょう!

 

↑途中、『Dr. Martin Luther King, Jr. Ave 』なる通りがありました。博物館周辺にちゃんと駐車場もあります。

開館時間&入場料金

火曜日休館・9:00~17:00まで開館しています。入場料金は大人15ドル。学生割引等もあります。

ロレインモーテル外観

有名なロレインモーテルの看板。キング牧師が撃たれた306号室前のバルコニーには、大きな花輪が飾られています。前に駐車されている車たちも当時のまま残されているそうです。

 

ノーベル平和賞を受賞したほどの方が宿泊する宿泊施設にしては簡素だな…と感じる方も多いのではないでしょうか。人種差別が未だ激しかった当時、黒人であったキング牧師はダウンタウンのホテルに宿泊することはできず、町の外れにあった黒人オーナーのこのモーテルが定宿であったのだといいます。

展示内容(本館:LORRAINE Building)

こちらの建物で入場チケットを購入しましょう。

奴隷貿易の歴史(Slavery in America 1619-1861)

1619年はアメリカ大陸に人々が奴隷として人々が連れてこられた年、1861年は奴隷解放をめぐって南北戦争が勃発した年になります。200年以上の長きにわたって奴隷制が存続され、奴隷を活用したプランテーションにより多くの富がアメリカにもたらされました。プランテーションでは、サトウキビや綿花、たばこなどの栽培が行われます。

奴隷オークションの様子。年齢から病気の有無などで価格が異なったそうです。

時代が進むにつれ奴隷の値段は高騰していきました。当時の南部富裕層にとって所有する奴隷の数は豊かさの象徴でもあったのです。

奴隷運搬船の様子についても説明。アフリカ大陸で捕らえられた奴隷たちは、船内に裸のまま身動きできない程押し込められました。船内の様子がパネルに描かれていましたが、まさに地獄絵図。

↓左の写真はアフリカ大陸における奴隷の供給地となった港が示されています。

 

船内では食事は一日に2回のみ。酷い衛生環境で赤痢やマラリアなど疫病が頻繁に蔓延しました。船旅は約3000マイルの距離を3か月以上要し、アメリカまで生きたまま辿り着けたのはたった20%だったそうです。

↓鎖に繋がれ運ばれる奴隷たち。身体には刺青が。

 

無事にアメリカ大陸に到着しても、待ち受けていたのはプランテーションでの過酷な労働の日々でした。

★ルイジアナ州ニューオリンズのプランテーションについて以下の記事で詳しく紹介しているので、興味のある方はこちらもご覧ください。

【ニューオーリンズ】プランテーションツアーでかつての南部の繁栄と奴隷労働の実態を知る。樫の並木道が美しいオークアレイ・プランテーションを紹介。

平等への闘い(The Fight of Equality in America Begins)

1862年のリンカーン大統領による奴隷解放宣言により、公には白人と平等となったアフリカ系アメリカ人の人々ですが、南部を中心に人種差別は根強く残っていくことになります。

特に悪名高いジム・クロウ法(Jim Crow Laws)は、当時のアメリカ南部の諸州に人種分離法として施行され、黒人(有色人種含む)は白人と日常生活のあらゆる場所で隔離されました。分離すれども平等(Separate But Equal)の大義名分のもと公然と差別が行われていたのです(分離の内容は州によって異なるが、病院やレストラン、公共交通機関からトイレなど)。また、多くの州で有色人種の参政権は制限されていました。

↓教育現場においても白人と黒人の生徒が席を並べるなど当時では考えられないことでした。(これはのちに1957年のリトルロック高校事件に繋がっていくことに。)

↓『現代に残るジムクロウ(Jim Crow Today)』として、現代のNYの人種別の居住割合が示されていました。人種により見事に居住エリアが別れているのが見てとれますね。赤が白人、青が黒人、緑がアジア系になります。

奴隷解放後、何度かのタイミングで南部から北部へのアフリカ系アメリカ人の大移動が起きています。より人種差別の少ない北部へ移るというのも動機の一つでしょうが、機械化により人手が不要となった南部の農場を離れ、新たな職を求めて新天地へ移るというケースが多かったようです。1970年代には8割以上のアフリカ系アメリカ人は都市部へ居住しています。

バスボイコット運動(Montgomery Bus Boycott 1955-1956)

有名なモンゴメリのバスボイコット運動についての展示も見逃せません。バスボイコット運動の発端となったローザパークス事件が再現されています。これは1955年12月1日の夕方、アラバマ州 モンゴメリーでの出来事。白人のために運転手から席を譲るよう要求されたローザ パークス(当時42歳)がこれを拒否、結果警察に逮捕されるという事件です。

当時のバスが再現されており、実際に乗り込むことができます。

座席中間にはローザパークスの姿が。当時は前方が白人優先席。中間席は満席の場合、黒人も座って良いとされていましたが、白人が乗ってきた場合席を譲ることとなっていたそうです。退席を命じるドライバーの音声も再現されており当時を疑似体験することができるのでした。

 

この事件をきっかけに黒人たちの間で反発が高まり、後のバスボイコット運動に繋がっていきました。当時利用客の75%が黒人であったというモンゴメリのバス会社はたちまち経営危機に陥りました。このボイコット運動をきっかけにキング牧師が主導する公民権運動は広がりをみせていったのでした。

↓当時はカフェやバーでも白人専用、黒人専用と別れていました。

破壊されたグレイハウンドバス。バスでの人種差別撤廃を訴える学生たちが乗り込みワシントンDCからニューオリンズを目指しました(フリーダムライダース運動)が、アラバマ州各地でバスを爆破されたり乗客が暴行を受けたりしました。

キング牧師の演説(The March on Washington 1963)

次なる見どころは、ワシントン大行進におけるキング牧師の有名すぎるあの演説です。1963年8月、リンカーン記念堂の前で17分にわたって『I have a dream』の演説がされました。

当時の熱気あふれる様子が再現されており、映像で演説のすべてを聴くことができます。ここは是非立ち止まって全部聴いていきたいところです。

 

一部原文:『I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.』

日本語訳:『私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。』

↓メンフィスでの行進『Sanitation Strike 1968』。ここでは『I AM A MAN』を掲げて人々が行進しました。

キング牧師最後の時(King’s Last Hours : Rooms 306&307)

キング牧師を主導とする公民権運動の展示を見た後、最後に待っているのが当時のままに復元されたロレインモーテル306号室と307号室。この部屋のバルコニーでキング牧師は凶弾に倒れました。

↓ガラス張りになっており、家具やインテリアも牧師が滞在した当時そのまま。牧師が持っていたトランクと中の私物も展示されていました。いたって簡素なその私物に牧師の人柄が偲ばれます。

キング牧師はバルコニーで友人と談笑している際に、通りの向かいにあるアパートから撃たれました。

地面に倒れるキング牧師と、銃弾の方向を指さす人々の様子。

バルコニーから狙撃場所である向かいのアパートを臨む。この向かいのアパートも現在博物館別館(LEGACY Building)として内部を見学することができます。本館見学後は忘れずにこの別館も見学しましょう。

展示内容(別館:LEGACY Building)

発砲場所となった通り向かいのアパート

犯人とされるジェームズ・アール・レイは事件当時、ロレインモーテルの通り向かいのアパートの2階に部屋を借り、バスルームから狙撃したとされています。現在、こちらのアパートも博物館の別館として一般公開されています。

↓別館(LEGACY Building)の入口

↓1階には2016年に亡くなったモハメド・アリのパネルが。彼もまた黒人の人種差別の撤廃を訴え続けた人物でした。

発砲場所となったバスルーム

犯人はこちらのバスルームのの窓の隙間から銃撃したそうです。当時の様子がそのままガラス越しに見学できます。

↓アパート2階の窓からロレインモーテルを臨む。犯人の目線がわかります。

FBIによる現場検証

FBIによる現場検証の様子をパネルにて知ることができます。

犯人の国外逃走

↓犯人が国外逃亡に使用した車の展示も。

ギフトショップ

本館及び別館には博物館のギフトショップがあります。キング牧師に関連する書籍からポストカードまでバリエーションは多数です。

↓『I have a dream』Tシャツ。

付近のアート作品

公民権運動博物館と併せて周ってほしいので、周辺にある公民権運動に関連するアート作品群です。

 

↓公民権運動博物館からダウンタウンに向けて徒歩5分程度、『I AM A MAN』の壁アート作品(Main Street 沿い)。

↓こちらもMain Street 沿い。オキーフ作品の影響がみられる壁アート。

さいごに

本館及び別館を合せると、半日はゆっくり滞在したいスポットです。アメリカ史を学ぶうえでとても重要な博物館であることに間違いないでしょう。

更にキング牧師関連の史跡としてはここメンフィスの公民権運動博物館の他に、ジョージア州アトランタにあるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア歴史地区( Martin Luther King Jr. National Historic Site)があります。そこでは彼の生家とお墓が公開されており、メンフィス公民権博物館同様、彼を偲ぶ訪問者が後をたちません。

レクタングル大
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